福岡を統治していた黒田藩は賛生館という
1867年、当時福岡を統治していた黒田藩は賛生館という医学教育を行う藩校を天神に設立した。1872年に学制が施行されるといったん廃校となったものの附属病院はその間も継続した。同病院は1874年に修猷館の附属診療所となり、1879年には福岡県立福岡医学校の附属病院へ改組された。福岡県立福岡医学校が廃校となった後は福岡県立福岡病院として存続することになる(1896年6月22日、現在の病院地区である福岡県筑紫郡千代村に移転)。
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1886年に帝国大学令が公布されると九州に帝国大学を設置する機運が高まり、1900年1月29日の第14帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が可決された。建議案の可決後も古くから医学の盛んだった長崎県や第五高等学校が設置されていた熊本県との間で誘致の綱引きが行われていたが、結局は賛生館の流れを汲む福岡県立福岡病院を母体に京都帝国大学の分科大学として福岡医科大学が設置された。
その後は資金難により九州帝国大学の設置は進まなかったが、古河財閥から1906年に「福岡工科大学、仙台理科大学、札幌農科大学」の建物建設へ寄付の申し出があり、設置の動きが高まることとなる。古河財閥の寄付金約100万円のうち6割ほどが九州帝国大学工科大学校舎建設の資金として当てられ、さらに福岡県の寄付金によって1911年1月1日に九州帝国大学が設立された。残りの4割は札幌農学校の東北帝国大学農科大学昇格(1907年9月)と東北帝大理科大学新設(1911年1月1日)のために用いられている。